
聖書中の祈りの言葉を一覧で見たいですか?
聖書には数えきれないほど多くの祈りがありますが、この記事では12の教訓となる祈りに絞って解説します。
それをご覧になれば、以下の点がわかります。
- 誰がどんな時にどんな祈りを捧げたのか。
- 祈った結果、どうなったか。
- そこからどんな教訓を得られるか。
どうぞ、参考になさってください。
- 旧約聖書中の祈りの言葉
- 旧約聖書中の祈りの言葉
- 祈りから学べる教訓
- 祈りの言葉アーメンの意味
祈りの言葉一覧【旧約聖書】

- 兄エサウの復讐を恐れたヤコブ
- 民を滅ぼすと言われたモーセ
- サタンから試みられたヨブ
- 息子の成功を願い求めたダビデ
- 富ではなく知恵を求めたソロモン
- 100万人の敵軍を前にしたアサ
- 異教の預言者に挑んだエリヤ
- アッシリアに挑発されたヒゼキヤ
すべてが祈りの言葉である「詩編」は膨大な量なので、この記事では省きました。
兄エサウの復讐を恐れたヤコブ
アブラハムの孫ヤコブは兄エサウから、長子の権利や父親イサクからの祝福を奪って逃亡していましたが、神のお告げがあって故郷へ帰ることにしました。
その途上で、ヤコブはエサウの復讐を恐れてこう祈りました。
わたしの父アブラハムの神、わたしの父イサクの神、わたしの主よ、あなたはわたしにこう言われました。「あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える」と。わたしは、あなたが僕に示したくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。どうか兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。あなたは、かつてこう言われました。「わたしは必ずあなたに幸いを与え、あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くする」と。
創世記32章10~13節
ヤコブはこう祈った後、エサウに贈る大量の牧畜(山羊、羊、牛など)を準備し、再会した時にはエサウから喜んで迎えられました。
ここで学べることは、ただ祈るだけでなく、対策を考えて実行しなければならないということ。神任せにしてはなりません。
民を滅ぼすと言われたモーセ
モーセが神から授かった十戒(石の板)を持って山から下りてくると、何とイスラエルの民は子牛の鋳像を造って崇めていました。
それを見た神から、イスラエルの民を滅ぼすと言われ、モーセはこう祈りました。
主なる神よ。あなたが大いなる御業をもって救い出し、力強い御手をもってエジプトから導き出された、あなたの嗣業の民を滅ぼさないでください。 あなたの僕、アブラハム、イサク、ヤコブを思い起こし、この民のかたくなさと逆らいと罪に御顔を向けないでください。 我々があなたに導かれて出て来た国の人々に、『主は約束された土地に彼らを入らせることができなかった。主は彼らを憎んで、荒れ野に導き出して殺してしまった』と言われないようにしてください。 彼らは、あなたが大いなる力と伸ばされた御腕をもって導き出されたあなたの嗣業の民です。
申命記9章26~29節
モーセが民の救済を願った理由は、神の評判に傷がつくことでした。
この祈りからは、自分たちの利益よりも神の評判を第一に考えるべきである、ということを学べます。
サタンから試みられたヨブ
神から高く評価され、多くの富を有していたヨブはサタンから試みられ、すべての財産を失い、子供たち全員が死んでしまいました。
そのことを従者から知らされたヨブはこう祈りました。
わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。
ヨブ記1章21節
これ以上はないほどの喪失感を味わい、失意のどん底にありながら、一切泣き言を言わず、神をたたえる、超越しています。
このあとも、ヨブは様々な方法で痛めつけられますが、神を呪うことはありませんでした。その結果、神から大いに祝福され、再び多くの財産と大勢の子供を得て、幸せな余生を送りました。
ここでは、神との固い絆があれば、どんな試練にも耐え得る、ということを学べます。
息子の成功を願い求めたダビデ
イスラエルの王権は、ダビデから息子ソロモンに引き継がれ、ソロモンは王になった後、神殿を建てることになっていました。
そのため、ダビデはおびただしい量の資材を準備し、王位継承の前に国民の前でこう祈りました。
わたしたちの父祖イスラエルの神、主よ、あなたは世々とこしえにほめたたえられますように。偉大さ、力、光輝、威光、栄光は、主よ、あなたのもの。まことに天と地にあるすべてのものはあなたのもの。主よ、国もあなたのもの。あなたはすべてのものの上に頭として高く立っておられる。富と栄光は御前にあり、あなたは万物を支配しておられる。勢いと力は御手の中にあり、またその御手をもっていかなるものでも大いなる者、力ある者となさることができる。わたしたちの神よ、今こそわたしたちはあなたに感謝し、輝かしい御名を賛美します。このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません。わたしたちは、わたしたちの先祖が皆そうであったように、あなたの御前では寄留民にすぎず、移住者にすぎません。この地上におけるわたしたちの人生は影のようなもので、希望はありません。わたしたちの神、主よ、わたしたちがあなたの聖なる御名のために神殿を築こうとして準備したこの大量のものは、すべて御手によるもの、すべてはあなたのものです。わたしの神よ、わたしはあなたが人の心を調べ、正しいものを喜ばれることを知っています。わたしは正しい心をもってこのすべてのものを寄進いたしました。また今、ここにいるあなたの民が寄進するのを、わたしは喜びながら見ました。わたしたちの先祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、これをあなたの民の心の思い計ることとしてとこしえに御心に留め、民の心を確かにあなたに向かうものとしてください。わが子ソロモンに全き心を与え、あなたの戒めと定めと掟を守って何事も行うようにし、わたしが準備した宮を築かせてください。
歴代誌上29章10~19節
ダビデは神をほめたたえ、自分が神殿建設のために寄進するものは神によるものであると述べ、ソロモンの成功を願い求めました。
この祈りは聞き届けられ、ソロモンは神の導きのもとに、荘厳な神殿を完成させました。
この祈りからは、お金や物は神から得たものであるという見方や、お金や物よりも神の導きと祝福のほうが重要である、ということを学べます。
富ではなく知恵を求めたソロモン
ソロモンが王になった後、神はソロモンの夢枕に立ち、こう言いました。「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」。(列王記上3章5節)
それに対し、ソロモンはこう答えました。
あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました。わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。僕はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。
列王記上3章6~9節
このようにソロモンは、富や繁栄ではなく、国民を裁くための知恵や判断力、正しい心を願い求めました。
神はこの願いを喜び、こう述べました。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。わたしはまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光も与える。生涯にわたってあなたと肩を並べうる王は一人もいない」。(列王記上3章11~13節)
この言葉のとおり、ソロモンの治世は繁栄を究め、イスラエル王朝は全盛期を迎えます。
ここから学べることは、神に喜ばれるのは利他的な精神であるということ。利己的な人は喜ばれません。
100万人の敵軍を前にしたアサ
ユダ王国の王アサの時代に、クシュ人ゼラが100万人の軍隊を率いて攻めてきました。
それに対し、アサは総勢58万人の兵士を率いて出陣し、神にこう祈りました。
主よ、あなたは力のある者にも無力な者にも分け隔てなく助けを与えてくださいます。わたしたちの神、主よ、わたしたちを助けてください。わたしたちはあなたを頼みとし、あなたの御名によってこの大軍に向かってやって来ました。あなたはわたしたちの神、主であって、いかなる人間もあなたに対抗することができません。
歴代誌下14章10節
その結果、クシュ人の軍勢はユダの軍勢に打ち破られ、全滅しました。
ここでは、神の後ろ盾があれば、不利な条件でも問題を克服できる、ということを学べます。
異教の預言者に挑んだエリヤ
神の預言者エリヤはバアル(異教の神)の預言者たちに、双方が雄牛を裂いて薪の上に乗せ、神に呼び掛けて火をつけてもらおうと提案しました。
バアルの預言者たちはそれに応じて、必死に神に呼び掛けますが、いくら呼び掛けても火はつきません。
その後、エリヤも雄牛を裂いて薪の上に乗せ、神にこう呼び掛けました。
アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたの御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう。
列王記上18章36,37節
すると、雄牛と薪は火で焼き尽くされました。
ここで学べることは、祈りは真の神に捧げなければならないということ。偽物の神に祈っても無駄です。
アッシリアに挑発されたヒゼキヤ
強国アッシリアの王センナケリブはイスラエルの神を冒涜し、ユダ王国の王ヒゼキヤを挑発しました。
ヒゼキヤは神に救いを求め、こう祈りました。
ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。あなただけが地上のすべての王国の神であり、あなたこそ天と地をお造りになった方です。主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いて御覧ください。生ける神をののしるために人を遣わしてきたセンナケリブの言葉を聞いてください。主よ、確かにアッシリアの王たちは諸国とその国土を荒らし、その神々を火に投げ込みましたが、それらは神ではなく、木や石であって、人間が手で造ったものにすぎません。彼らはこれを滅ぼしてしまいました。わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください。
列王記二19章15~19節
ヒゼキヤが祈ったその夜、主の御使いが現れて、アッシリアの軍勢18万5千人は一夜にして全員死亡。センナケリブは自国に戻ったものの、暗殺されました。
ここで学べることは、決して神を冒涜してはならないということ。神を侮ってはなりません。
次に、新約聖書の祈りの言葉をご覧ください。
祈りの言葉一覧【新約聖書】

- 神をほめたたえたマリア
- 神の意志を優先したイエス
- 威圧されたイエスの信者たち
- 祈りの言葉アーメンの意味
神をほめたたえたマリア
天使からイエスの出産を告げられたマリアは、エリサベト(洗礼者ヨハネの母)に会いに行きました。
エリサベトとあいさつを交わした後、マリアはこう祈りました。
わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。
ルカによる福音書1章46~55節
マリアは神を賛美し、ほめたたえ、感謝を述べているだけです。イエスの出産という重い責任を負っていましたが、自分の願いは何も述べていません。
この祈りから、祈りは願い事ばかりではないこと、神への賛美や感謝も忘れてはならない、ということを学べます。
神の意志を優先したイエス
イエスの祈りはたくさんありますが、ここでは2つだけ載せます。
まずは、山上の説教(マタイによる福音書5~7章)に含まれている有名な”主の祈り”。これはイエスが述べた祈りの型です。神に捧げた祈りの言葉ではありません。
天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。
マタイによる福音書6章9~13節
イエスは集まっていた群衆に、こういう祈りを捧げるようにと教えました。
最初に述べているのは神に関すること。その後、自分のこと、生きていくために必要なもの、赦しを求め、悪い者からの救いを願っています。
ここでは、自分自身の利益ばかり祈っていてはならない、ということを学べます。神や他人のことも祈りましょう。
もうひとつだけ取り上げるイエスの祈りは、処刑される前夜の祈り。
イエスは処刑される日の前日、使徒たちとの晩餐を済ませた後、ゲッセマネの園へ行き、こう祈りました。
アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。
マルコによる福音書14章36節
「この杯」とは、人類の贖いとして処刑されるというイエスに課された使命のことです。つまり、ここでイエスは、その使命を果たさなくていいようにしてください、と祈っていたわけです。
並行記述となるルカによる福音書22章44節には「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた」とあるので、この時のイエスは極度の緊張状態にあったことがわかります。
それでもイエスは自分が願うことではなく「御心に適うこと」、つまり神の意志が実現することを願いました。なんと立派な模範でしょう。
ここでは、どんな時でも自分の意志より神の意志を優先する、ということを学べます。
威圧されたイエスの信者たち
イエスの死後、エルサレムにいたイエスの信者たちは、ユダヤ人の支配層から、イエスの名によって話したり教えたりしないようにと命令されました。
それを聞いた信者たちはこう祈りました。
主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。あなたの僕であり、また、わたしたちの父であるダビデの口を通し、あなたは聖霊によってこうお告げになりました。『なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、諸国の民はむなしいことを企てるのか。地上の王たちはこぞって立ち上がり、指導者たちは団結して、主とそのメシアに逆らう。』事実、この都でヘロデとポンティオ・ピラトは、異邦人やイスラエルの民と一緒になって、あなたが油を注がれた聖なる僕イエスに逆らいました。そして、実現するようにと御手と御心によってあらかじめ定められていたことを、すべて行ったのです。主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。
使徒言行録4章24~30節
祈りが終わると「一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだし」ました。(使徒言行録4章31節)
ここから学べることは、勇気を出し、反対者に抵抗するの力を神に求めるなら、聖霊に満たされ、大胆になれるということです。
祈りの言葉アーメンの意味
祈りの最後に述べる「アーメン」という言葉には、どんな意味があるのか、最後に触れておきます。
「アーメン」の意味は以下のとおりです。
アーメンはヘブライ語で、「本当に」「まことにそうです」「然り」「そうありますように」の意。
ウィキペディア/アーメン
ということなので、代表で祈った人が最後に「アーメン」と述べた後、「アーメン」と復唱することは、その祈りに同意することを意味します。
祈りの言葉一覧【まとめ】
以上、聖書中の祈りの言葉について書きました。
ポイントは以下のとおりです。
お役に立てば幸いです。
祈り以外の聖書の名言は、こちらの記事でご覧ください。
2025/1/24,26

コメント